櫻井三郎右衛門 島根農業の振興に尽くす(奥出雲町ゆかり)

農協経営や農民生活支える

 櫻(さくら)井(い)三(さぶ)郎(ろう)右衛(え)門(もん)(1903~91年)は島根県農協中央会会長を長い間務(つと)めるなど、戦前戦後を通じて島根農業の振(しん)興(こう)に尽(つ)くしました。

 三郎右衛門は明治36年、現(げん)在(ざい)の出(いず)雲(も)市大(たい)社(しゃ)町に生まれます。当時の大社中学を卒業後、1925(大正14)年に奥(おく)出(いず)雲(も)町上(かみ)阿(あ)井(い)の櫻井家へ養子に迎(むか)えられ、第12代櫻井三郎右衛門(泰(やす)吉(きち))を襲(しゅう)名(めい)しました。

 櫻井家は代々、良(りょう)質(しつ)の鉄を生産する「たたら」製鉄(せいてつ)を営(いとな)み、江(え)戸(ど)時代には松(まつ)江(え)藩(はん)の鉄(てつ)師(し)頭(とう)取(どり)として奥出雲の鉄(てつ)山(ざん)を取り仕切ります。島根の三大山林地主として知られ、田部(たなべ)家、絲原(いとはら)家とともに奥出雲の「たたら御(ご)三(さん)家(け)」と呼(よ)ばれました。

 三郎右衛門は1927(昭和2)年、24歳(さい)で仁(に)多(た)郡農会会長などを務めた後、54(昭和29)年に島根県農協中央会が設立(せつりつ)されると初代会長に就(しゅう)任(にん)。

 以(い)降(こう)、74(同49)年までの20年間、会長として優(すぐ)れた指(し)導(どう)力で県内農業団(だん)体(たい)の整(せい)備(び)、農協合(がっ)併(ぺい)や畜産(ちくさん)団体の統合(とうごう)など業(ぎょう)績(せき)を挙(あ)げます。

 県信用農協連会長、県経済(けいざい)連会長、県共(きょう)済(さい)農協連会長も務め、文字通り県内農協関係のリーダー。県内単位農協の経(けい)営(えい)と農村、農民世帯の生活を支(ささ)えました。

 57(昭和32)年には、全国でも珍(めずら)しいといわれた農協経営の県農協講習(こうしゅう)所(後の島根協同組合学校)を開校。多くの農協関係者を育成します。

 53(昭和28)年には、仁多町(現在の奥出雲町)の町村合併に尽(じん)力(りょく)。55(同30)年に旧(きゅう)町村の合併が成立すると、要(よう)請(せい)されて初代町長に就任し、地方行(ぎょう)政(せい)の振興にも貢献(こうけん)しました。

 自(じ)宅(たく)には松江藩の歴代藩主が訪(おとず)れた御(お)成(な)りの間や庭園があり、茶室や滝(たき)など趣(おもむき)深い風(ふ)情(ぜい)は歴(れき)史(し)を感じさせます。また、敷(しき)地(ち)内には約400年のたたら製鉄の歴史資(し)料(りょう)などを展(てん)示(じ)する可(か)部(べ)屋(や)(櫻井家の屋号)集(しゅう)成(せい)館(かん)があります。

 戦後は山(さん)陰(いん)酸(さん)素(そ)工業社長、島根日産(にっさん)自動車社長を務めるなど、県内の経(けい)済(ざい)界(かい)でも指導的役割(やくわり)を果(は)たしました。

 絵(かい)画(が)や弓(きゅう)道(どう)など多(た)趣(しゅ)味(み)で知られました。料理も好きで、松江市の県農林会館にある会長室にはきれいな調理場が備(そな)わり、時間があるときには昼食を自(じ)炊(すい)していました。

 子ども時代を知る友人は「わんぱく大将(たいしょう)だったけれど人の世話をするところがあり、子どものときから人の上に立つ風格(ふうかく)が備わっていた」と話していたそうです。

2019年9月25日 無断転載禁止

こども新聞