いくつもの「そもそも」

 完成間近の新国立競技場は外から見ても圧巻の存在感。東京スカイツリーを仰ぎ見る浅草雷門は大勢の外国人観光客でにぎわい、皇居外苑では市民ランナーが心地よい汗を流していた。先週末、出張の空き時間に足を運んできた。いずれも来夏の東京五輪のマラソンコース。いや「コースだった」に変わってしまった▼暑さ対策を理由に国際オリンピック委員会(IOC)が突如、東京五輪のマラソンと競歩を札幌で行う案を打ち出したのが先月中旬。花形競技の「強奪」に東京都は調整委員会で抵抗したもののIOCの権限は強く、「合意なき決定」(小池百合子知事)に押し切られた形だ▼この騒動では、いくつもの「そもそも」が思い浮かんだ。そもそも東京の8月は猛暑だと分かっていたはず。そもそも今から札幌で対応できるのか。そして、そもそも何で8月に開催するのか▼1964年東京五輪のように気候のいい秋なら問題ない。問題なのは近年の五輪を支配する商業主義。巨額の放映権料を支払う米テレビ局が幅を利かせ、夏開催が続く。選手が商業主義の犠牲になっていないか▼「選手の健康が第一」とするIOCは声高にアスリートファースト(選手第一)を叫ぶ。ならば突然の開催地変更で選手を混乱させるのではなく、最初から開催時期を気候のいい秋に設定するのが道理だろう。週末の東京は秋晴れだったが、気持ちは今も晴れない。(健)

2019年11月4日 無断転載禁止