小学国語教科書「サクラ読本」を発刊 井上 赳(安来市ゆかり)

文章を大切にした画期的編集

井上赳が中心になって編さんし、サクラ読本として親しまれた小学国語読本の巻一
 昭和時代初期に「サクラ読(どく)本(ほん)」の愛(あい)称(しょう)で親しまれた教科書の「小学国語読本」を中心となって発刊(はっかん)したのが、教育者で文部省(現在(げんざい)の文部科学省)図書監(かん)修(しゅう)官(かん)を務(つと)めた井(いの)上(うえ)赳(たけし)(1889~1965年)です。幼(よう)少(しょう)期(き)を今の安(やす)来(ぎ)市広(ひろ)瀬(せ)町で過(す)ごしました。

 赳は、父親が小学校の青年校長として赴(ふ)任(にん)した現在の大(おお)田(だ)市仁(に)摩(ま)町で生まれ、4歳(さい)の時、広瀬町の井上家に跡(あと)を継(つ)ぐため養(よう)子(し)となりました。

 地元の尋常科(じんじょうか)四年制(せい)の義(ぎ)務(む)教育を成績(せいせき)優(ゆう)秀(しゅう)によって飛び級の3年で卒業します。1909(明治42)年、県立松(まつ)江(え)中学校(現・県立松江北高)を首席(しゅせき)で卒業。松江中学に続いて第一高等学校(現・東京大学など)でも成績優秀によって授(じゅ)業(ぎょう)料(りょう)を免除(めんじょ)されます。 特待生のまま東京帝国(ていこく)大学(現・東京大学)国文科を卒業し、第七高等学校造(ぞう)士(し)館(かん)(現・鹿(か)児(ご)島(しま)大学)で講(こう)師(し)を務めた後、21(大正10)年、文部省図書監修官に就(しゅう)任(にん)します。

 25(大正14)年に欧(おう)米(べい)の教科書を研究するため1年余(あま)り留(りゅう)学(がく)。多くの先輩(せんぱい)、同(どう)僚(りょう)の中でただ一人選ばれました。

 各国がどんな教科書で国語指(し)導(どう)をしているか、どんな特徴(とくちょう)のある編(へん)集(しゅう)をしているか学ぶという宿題を自らに課(か)しました。

 帰国後、31(昭和6)年に「小学国語読本」の編集を開始。それまで導(どう)入(にゅう)部分は単語で始まっていましたが、赳は1年生の最初に習う巻(まき)一の巻(かん)頭(とう)を「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」のように、初めて文章を学べるようにしました。画(かっ)期(き)的(てき)な内(ない)容(よう)で、「サクラ読本」の愛称で親しまれました。33(昭和8)年4月入学の児童から使用されます。

 子どもが日(にち)常(じょう)使う言葉で書かれ、国語教育関係者から「優(すぐ)れた詩の読本」「文学読本」といった賛(さん)辞(じ)が寄(よ)せられました。また、日常の風景を描(えが)き絵本感覚で親しみやすくした上に、挿(さし)絵(え)に当時としては珍(めずら)しいカラーを用いたことも「画期的」と称(しょう)賛(さん)された理由でした。

 サクラ読本は発刊以来、毎年1学年2冊(さつ)ずつ加え、38(昭和13)年度に全6学年12分冊が完結しました。

 当時の唱(しょう)歌(か)の教科書に載(の)った歌が、国語読本で学習する内容と並行(へいこう)して学ぶことができるようになっていたことから、赳は「蛍(ほたる)」「花火」など文部省唱歌の作(さく)詞(し)も手(て)掛(が)けました。

2020年1月22日 無断転載禁止

こども新聞