浜田水産高校の初代校長 丸川 久俊(浜田市生まれ)

丸川 久俊
島根水産業の礎を築く

 動物プランクトン研究の第一人者で、浜(はま)田(だ)水産高校の初代校長を務(つと)めた丸(まる)川(かわ)久(ひさ)俊(とし)(1882~1958年)は、水産学・海洋学の分野で多くの業(ぎょう)績(せき)を残しました。日本海屈(くっ)指(し)の好漁場である大和(やまと)堆(たい)を発見した人物としても知られ、人生の後半は郷(きょう)里(り)の発(はっ)展(てん)に心血を注ぎ、島根の水産業の礎(いしずえ)を築(きず)きました。

 久俊は津(つ)和(わ)野(の)藩(はん)士(し)の末(まつ)裔(えい)として浜田市錦(にしき)町に生まれました。勉強熱心で島根県第二中学校(現(げん)浜田高校)を卒業。当初は政(せい)治(じ)家(か)を志(こころざ)していましたが、国の発展には国土を取り巻(ま)く海洋資(し)源(げん)が重要になるという父親の勧(すす)めを聞き、国の水産講(こう)習(しゅう)所(じょ)の本科養(よう)殖(しょく)科(現東京水産大学)に進学し、卒業後も研究科に進みました。

 その頃(ころ)は水産学・海洋学という研究分野が始まろうとする時期で、今では広く知られていることでも、当時としては分かっていないことがたくさんありました。久俊は在(ざい)学(がく)中、魚が何を食べているのかを明らかにするため、動物プランクトンの調(ちょう)査(さ)・研究を進め「魚類の天然飼(し)料(りょう)」という論(ろん)文(ぶん)にまとめました。

 1910(明治43)年から2年間、漁業先進国のドイツ、ノルウェーへの留(りゅう)学(がく)を経(へ)て、久俊の活(かつ)躍(やく)は一(いっ)層(そう)大きなものになっていきます。日本海をはじめとする日本周辺の広大な海(かい)域(いき)で調査を進め、多数のプランクトンの新種を発見するなど世界的な業績を次々と残していきます。カレイやタラバガニなど重要魚(ぎょ)介(かい)類(るい)の回遊経(けい)路(ろ)や資源量を調べるため、目印となる標(ひょう)識(しき)を付けて放流する調査法も日本で初めて実(じっ)践(せん)しました。

浜田水産高校に設置した丸川久俊の記念碑を囲む浜水会の関係者=2019年11月、浜田市瀬戸ケ島町
 39(昭和14)年、58歳(さい)で国立水産試験場を定年退(たい)官(かん)後は水産系(けい)大学の学長就(しゅう)任(にん)などの話を断(ことわ)り、浜田に帰郷します。浜田漁業組合長、島根県水産業会会長などの要(よう)職(しょく)を歴(れき)任(にん)し、太平洋戦争後は浜田水産高校の創(そう)設(せつ)に尽(じん)力(りょく)。初代校長に就(つ)き、念願の練習船「大島根丸」の建(けん)造(ぞう)を実(じつ)現(げん)するなど後進の育成に尽(つ)くしました。時間があれば愛用の顕(けん)微(び)鏡(きょう)をのぞき込(こ)むなど、76歳で亡(な)くなるまで自然科学の探究(たんきゅう)も続けました。

 研究者として残した業績、島根の水産振(しん)興(こう)に果たした功(こう)績(せき)は数知れません。2017(平成29)年10月には浜田水産高校の卒業生でつくる「浜水会」によって久俊を顕(けん)彰(しょう)する記念碑(ひ)が同校内に設(せっ)置(ち)され、故(こ)人(じん)の偉(い)業(ぎょう)を伝えています。



丸川 久俊の歩み

2020年8月19日 無断転載禁止

こども新聞